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昨日、映画館で「平行と垂直」という作品を観てきました。会社を辞めて8年、働かない生活を続けていると、平日の昼間でも夜でも好きなときに映画館へ行けます。今回はそうやってふらりと観に行った一本が、思いのほか心に残ったという話です。
「平行と垂直」というタイトルの面白さ
まず、このタイトルが面白い。平行と垂直というのは、どちらもきちんと決まった関係を持つ線の並びです。この作品は、平行と垂直に強くこだわる自閉症の兄と、その妹を描いた物語。こだわりそのものをタイトルに据えているわけです。
観終わってから考えてみると、この言葉は作品全体の比喩にもなっています。平行な線はどこまでも交わらない。垂直な線はきっちり一点で交わる。人と人との関係も、どうしても交わらないものと、思いがけず深く交わるものがある。そう読むと、このタイトルは実によくできているなと思いました。
理解することの難しさを正面から描いている
この映画が扱っているのは、自閉症の人に対する理解の難しさです。一般的な行動とは確かに違う。周りから見れば「なぜそんなことをするのだろう」と分からない。でも、その行動には必ず訳があります。
映画は、その「訳」をいろいろな角度から見せてくれます。パッと見ただけでは理解できない行動が、別の面から見ればきちんと筋の通った行動である。それを説明ではなく、映像で示していく作りになっていました。
でも、社会がそれを許すかは別問題
同時に、この映画は簡単な答えを出しません。理由があると分かったとして、この社会でそれが許される場合もあれば、許されない場合もある。そこを避けずに描いているところに誠実さを感じました。感動的な作りではあるのですが、きれいごとで終わらせていないのです。
理解には限界がある、という前提から始める
観ながら考えていたのは、理解というものの限界についてです。
自閉症といっても、その特性は人によって本当に様々でしょう。そのすべてを理解するというのは、そもそも無理な話だと思います。理解できるとしたら、実際にその人と対話し、時間を共にし、経験を積むしかない。本を読んで知識を得ただけでは、心の底からの理解には届きません。
さらに厄介なのは、「理解したつもりでいたけれど、実は違っていた」ということが普通に起こることです。そして、その理解ができる人とできない人がいるという現実もある。努力で人は変われる部分もあるとは思いますが、やはり限界はあります。
だからこそ、限界があることをまず認めたうえで、そのつど理解しようと試み、経験を積み重ねていく。その繰り返ししかないのだろうと思いました。そしてその過程は、相手のためであると同時に、自分自身の成長にもなっている気がします。
ノンさんの演技が素晴らしかった
この映画で特に良かったのが、妹役を演じたノンさんです。
ノンさんというと、どこかとぼけた、能天気な役柄のイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。私もそうでした。ところがこの映画では、カウンセラーとして真剣に仕事に向き合う顔を、実にきれいに演じています。
それだけではありません。婚約者と向き合うときの顔、そして自閉症の兄を持つ妹としての顔。この三つがどれも違っていて、しかもどれもきちんと成立している。場面が変わるたびに表情の質が変わっていくので、こちらもずっと演技に引き込まれたまま最後まで観てしまいました。
AIの時代だからこそ、人と交わる意味がある
もうひとつ、観ながら考えたことがあります。
これからの社会は、自閉症の人に限らず、さまざまな特性や個性を持った人が可視化されていく社会になるはずです。一方でAIが台頭してきて、「一般的な答えを返す」という点では最強の存在ができあがりつつあります。
ただ、AIとの会話だけで日々を過ごしていたら、生身の人間を理解する力はどうしても育ちません。平均的で整った答えばかりに触れていると、例外や個別性に向き合う機会が減っていくからです。
だから、これからはむしろ、いろいろな人と直接交流することの価値が上がっていくのではないか。そんなことを考えました。効率で言えばAIに聞くほうが早いけれど、理解する力を育てるという意味では、まったく別の営みなのだと思います。
おすすめできる一本です
難しいテーマを扱いながら、分かりやすく映画として成立させている作品でした。感動的でもあり、考えさせられもする。ノンさんの演技だけでも観る価値があります。
「平行と垂直」、なかなかいい映画でしたのでおすすめです。タイトルの意味を考えながら観ると、もう一段面白くなると思います。
