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会社を辞めて8年、働かずに毎日楽しく過ごしています。そんな日々の中で、避けようのない出来事がやってきました。父のがんの再発です。
15年ぶりの再発、そして緩和ケアという選択
父と母、妹と私の4人で病院に行き、父の病状について医師から説明を受けました。父は15年ほど前に肝臓がんになり、放射線治療などを経て、その後10年以上は特に問題なく過ごしていました。毎年の経過観察にも通い、普段はフラフラと元気に仕事をしているような人です。
異変が出たのは2〜3か月前。息が苦しいと言うようになりました。それでも日常は変わらず続いていたのですが、今回大きな病院で検査をしたところ、肺と膵臓にがんが見つかりました。おそらく膵臓のがんが転移して肺に広がったのではないか、という説明でした。
肺には点々と無数に広がっていて、この状態では放射線治療は非常に難しい。加えて父は90歳です。抗がん剤を飲みながら治療を続けるという選択肢もあるけれど、体力的にかなり厳しいのではないか、と医師は言いました。
父はすでに決めていた
実は父と母は、その1週間前に同じ説明を受けていました。今回は「家族も一緒に」ということで、私と妹が加わった形です。そして父は病院に向かう前から、治療ではなく緩和ケアにすると決めていました。私も妹も、そこに異議はありませんでした。
がんの進行は人によって大きく異なるそうです。中には週単位で悪くなっていくケースもある、と聞きました。だから話はすぐに具体的になり、来週は緩和病棟の見学に行く日程を調整しました。母が一緒に行くことになりそうです。帰りには、毎年肝臓を見てくれている先生のところにも顔を出してきました。
その後、家族みんなで食事をして、家に戻りました。重い話をした日でも、食事をして帰るというのは不思議なものです。
残されるのは、工場と農地と重機
家に戻ってから考えたのは、父がいなくなった後のことでした。相続というより、現実的に「誰が何をやるのか」という話です。
父はもともと木工場をやっていました。工場自体はかなり前に閉じていて、継ぐ息子もいません。それでも建物は残っていて、屋根があり、中には機械が並んでいます。ユンボがあり、トラクターがあり、フォークリフトまであります。農地も山もあります。

「できなくなったらお前がやれ」
私も時々駆り出されて、トラクターで草刈りをしたり、栗拾いをしたりしていました。前回は草刈りの途中で沼にはまってしまい、父がユンボで引っ張り出してくれました。それで「ユンボも使えないといけない、習っておけ」と言われ、操作の練習をすることになったのです。
実際に動かしてみると、やることはいろいろあります。木を切る、倒す、ショベルで掘る。そういった作業ができるようにならないといけない。母も「父ができなくなったら自分にはできないから、あなたがやって」と言います。
機械の数も多いのです。見た目は同じようなトラクターでも、草刈り専用など用途が違うものがいくつもあって、毎回違うものに乗せられている気がします。フォークリフトは7年ほど前に無料講習の機会があって免許を取りましたが、そもそも敷地内なら法律上は免許なしでも運転できるようです。
勉強会で聞いた話が、自分の話になった
その前日、木下斉さんと大河内さんの「ズバリ お金から逃げるな」というショートスクールに参加していました。そこで、父がやっていた農地と山を引き継いでやっていくというテーマでプレゼンをしている方がいました。

聞きながら、いずれ自分も同じ立場になるのだろうなと思っていました。工場と農地をどうするのか、どうやって回していくのか。それが「いずれ」ではなく、急に近づいてきたのが今回です。
母はまだ元気です。それでも父がいなくなれば、父がやっていたことは誰もできなくなります。機械を動かすこと、土地を手入れすること、そういう日々の積み重ねが一気に空白になる。真剣に考えなければいけない状態になってしまった、というのが今の正直なところです。
おわりに
働かない生活をしていると、時間はたくさんあります。けれど時間があることと、引き継ぐ覚悟ができていることは別の話でした。緩和病棟の見学、工場と農地の行き先、重機の操作。ひとつずつ向き合っていくしかありません。
同じような状況にいる方、これから直面する方もいると思います。この記録が何かの参考になればうれしいです。