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早期退社をして楽しく、快適な、生活を目指している、へらへら生きるヘラリストのアリーです。
今日、Voicyで、「ちきりん」さんが311の時に買いたブログを読み上げていた。
あの時、僕は何をしていたか?
だいぶ記憶があやふやになっている。
まだ、10年前はブログを初めていなかったので、その時のことをブログには載っていない。
あの時に何があったかを、今、書き留めておこうと思う。
地震が起きた時にどこにいたか?
はっきり覚えていないのだが、多分会社の席にいた。
凄い揺れが来て、
そして、慌てて机の下に隠れた。
揺れは長く続いた気がした。
そして、一時避難で、外に階段で降りて、馬場先門のあたりに集合した気がする。
(311の時なのか、避難訓練の時なのかだ曖昧だ。)
その後、安全が確認されたと言うことで、会社に戻った。
地震があった後
まず、家族に電話をしたが繋がらなかった。
そして、僕は、テレビに繋がる機器の仕事をしていたので、 席にテレビと室内アンテナを持っていた。
それを、つないでテレビを見てて驚いた!
そこには、映画のような光景が映し出されていた。
津波が田畑を襲っていた、そこには、車が走っていた。
当然その中には、人が乗っていたはずである。
そんな車が津波に流されていく。
それを見て、ただごとではないと思い始めた。
そして、そのテレビをオープン・スペースに設置した、皆が見ていた。
家に帰ろう!
車で、家に帰ろうと言うことになる。
会社にある社有車を、割り当てて車で帰ろうといこことになって、4人ぐらいで車に乗り込んで、丸の内のオフィスをでた。
しかし、車は進まない、数時間経ってもほとんど移動していない。
途中で宝町あたりで、諦め宝町の駐車場に車を止め、歩いて会社に戻ることにした。
途中で、お腹が空いて来たので、食事をしようと言うことで、タイ料理のお店に入った。
何を食べたかは、覚えていなかいが、おいしかった記憶はある。
その後に、そのタイ料理屋さんにもう一度行こうとしたが見つかっていない。
それから会社に戻る。
その途中で、家族と携帯電話で連絡がとれ無事が確認された。
会社には、やはり何人かは分からないが、多くの人がいた。
会社に泊まる。
会社の窓から下を見るも、車がほとんど動かず止まっていた。
帰宅を諦めて会社に泊まることにした。
毛布が配られた!
僕は、毛布にくるまって会議室で寝た。
会社で朝を迎える。
そうして、小さな会議室で一夜を過ごした。
朝食に何を食べたか覚えていない。
つくばエクスプレスも動いていないと言うし、車も混んでいたので、ひとまず会社にいることにした。
昼前に、オープンスペースでボーとしていると、社長が来て飯にいくぞと言うことで、何人かで食事にいく。
有楽町ビックカメラ地下の、小洞天で社長の奢りで食べた。
(令和2年11月6日(金)をもって小洞天有楽町店は閉店している)
車で家を目指す。
その後、帰ろうと言うことになり,何人かと一緒に帰ることにした。
そして、駐車していた宝町の駐車場まで、歩いていく。
そして、駐車料金を払う、1万円ぐらい払った気がする。
(後で、経費で落とさせていただいた。)
そして、車で自宅を目指す。
多分高速は使えなかったので、下の道で行った気がする。
途中で、家に電話したら、何か食い物を買ってこい!
と言うことで、コンビニによってみたが、あまり何も残っていなかった。
とても高いカップヌードルがあったので、それを何個か買った記憶がある。
(それ以来我が家には、安いカップヌードルの備蓄があり、時々期限が切れそうなカップヌードルを食べている。)
そうして、無事に家に帰り着いた。
家では、家族全員無事で過ごしていた。
その間に、福島では、原発がメルトダウンを起こして、死の灰を降らしていたのである。
その後
会社は、自宅待機になり、しばらくリモートでの仕事となった。
ガソリンスタンドも、閉まってしまい、ガソリンも入れることができなかったので、自転車で買い物に行っていた。
その時に、ガソリンはなるべく早く入れようと誓う。
ガソリンが半分になったら、ガソリンを満タンにするのが習慣となった。
朝は、木村屋の工場のパン屋さんからバンを買ったりしていた。
なぜか、計画停電では一度も電気が止まることがなく過ごせた。
多分、自衛隊があるため電源が落とせない地域だったのだろう。
僕の311のまとめ
僕は、311の時には、運が良いことにあまりひどい事にはなっていない。
それでも、普段とは全く異なる日常を過ごし、今でも記憶に残っている。
でも、今回、思い出してみで、いろんなことを忘れてしまっている事にも気づいた。
このように過去を振り返ってみることは大事である。
また、同じような災害に会うかもしれない、そんな時にどうしたら良いかを考える時の大事なヒントになるかもしれない。
そして、未来は、明るい!
そう僕は信じる。
楽しい人生だったと言って死にたい、へらへら生きるヘラリストのアリー(@ArimuraYoshi)でした。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。